陶磁器展示場

陶磁器を作成しています。高橋陽のブログです。

青磁

青磁は中国における偉大な達成です。初めから玉を目指して作り上げたのか、自然釉を発見したことで人工的な玉を作り上げることが出来ると夢想したのか、どちらが先かはわかりませんが、とにかく五代から宋にかけて古の陶物師達が本物の玉器に勝るとも劣らない青磁を作り上げたことには間違いありません。原始青磁が出来てから大体2000年ほどの時間とそれに伴う膨大な試行錯誤によりようやく青磁は完成したわけです。確かに灰の灰汁抜き一つとってもどうやって思いついたのか謎ですし、厚がけに欠かせない素焼きという技術も先入観を取っ払ってみればかなりすごい発想と言えると思います。

元以降は白磁染付、白磁色絵に主役が取って代わるため、青磁は宋代ほどの隆盛を極めることはなくなり、その美意識や技法も受け継がれることはなかったように見えます。明や清でも龍泉窯の青磁南宋官窯写しなどの倣古作品が作られますが、どうも宋の頃と比べると一段、二段劣ると感じてしまいます。というのも五代から宋にかけての青磁はテクスチャーに特段の冴えを見せ、またその趣きも多様でまさに千変万化の自然美を彷彿とさせます。色相も同様で、微妙な焼成条件や釉の厚みの変化に応じて表現される移ろいはとても魅力的です。

宋代には様々な青磁窯が花開きました。越州窯、耀州窯、龍泉窯、汝窯南宋官窯、哥窯… しかもこれらのうち、民窯は同じ地域の似た技術集団を一緒くたに~窯とよんでいます。そのため越州窯と言っても実際には少しずつ異なる技術や嗜好を持った窯が多数寄り集まったものであったようです。

この頃の青磁が玉を目指したものだとすれば、いつどこで一つの極みに到達したでしょうか?どうも、晩唐~五代にかけての諸窯で達成されたように思います。

参考:五代 秘色青瓷洗-數位典藏與學習聯合目錄

 

表面は水気を含んでいるような曇りを帯び、それでいて唐の頃の一般的な越州窯と比べると透明感も兼ね備えています。非常に素晴らしい青磁で人工玉としての青磁はこれで成ったと言い切って差し支えないでしょう。上記の洗は越州窯系の秘色窯のものですが、発掘資料を見ると耀州窯系(東窯、北方青磁、臨汝窯)などもかなりレベルの高い青磁を生産していたようです。耀州窯系と一口いっても、オリーブグリーンに彫り文様という形式以外にも汝窯の嚆矢となるような品が生産されていたようです。

ただし、青ではなく緑がかっていることを欠点と捉えるひともいるかもしれません。確かに徽宗も空色の青磁を求めたという逸話も残ってはいます。翻って本物の玉に目を移せば、緑や白、まだら模様、ひいては黄土色のものも珍重されています。こう言った事例を考えると昔の中国人は単純な色と言うものはそれほど重視しなかったのではないでしょうか。とはいえ、造形においては金属器を模倣したものから土の可塑性を活かしたものへと変わり主流になったように、釉薬においても陶磁器でしかなし得ない”青い玉”が評価を受けて南宋官窯などの青に繋がったのかもしれません。

ともかくどんな色をしていても、宋代青磁の名品は多様で素晴らしい個性を持っています。爪が食い込むほど柔らかそうな越州窯、はっきりとした透明感がありながら微かに曇りを帯びた耀州窯、マットなのか透明なのか厚がけなのか薄がけなのかよく見てもなかなか分からない、まるで光を内にひめたような汝窯、昔の中国人も魚の油や卵液、葆光など様々な言葉で例えたようですがなかなか上手く言い表せない複雑で多様な趣です。このような多様性は技法の違い(も軽視できませんが)というよりは原料の違いに起因する部分が多いと考えています。青磁白磁(または+染付)と違って鉄分の多さや流れやすさなどにあまり過敏になる必要が無いため、それぞれの窯場の地理的多様性によりもたらされたそれぞれの原料が、そのまま青磁の自然物の如き美しい多様性に結びついていったと思います。一例としては初期の高麗青磁越州窯系の技術が導入され、後期では汝窯系の技術が導入されたと言われており(形姿においては高台の作りに特徴が顕著、越州窯:玉璧底、汝窯系:珪石目や彫り文様)、確かに釉もそれぞれ似ていますが、似ているというレベルに留まっておりそれぞれ好ましい個性を保持しています。

明清の青磁は色こそはっきりとした青のものもまずまず残されているようですが、色相は画一的に過ぎ、テクスチャーは単調で宋の名品とは差があると言わざるを得ません。洗練されていないとは言いませんが、どこか無機質で工業的な雰囲気が漂い、以前の青磁にあった自然美からは少し離れてしまったように思われます。

 

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以下自作

 

いすれも完全な磁胎ではありませんが、ほぼ染みません。

 

越州窯風の単純な製法の青磁。2原料をあわせただけだが、その分材料の選定は非常に重要。f:id:Kirsch:20180101161222j:plainf:id:Kirsch:20180101161233j:plainf:id:Kirsch:20180101161254j:plain

 

全く同じ釉薬でも胎土と焼成によってよりピカッとした質感のものにもなる。f:id:Kirsch:20180101162542j:plain

 

以下の自作は粉青色の北方系?の青磁の様式。おそらく本歌は灰の丁寧な精製や珪石の使用で実現したものと思われる。粉青色といえば龍泉窯も挙がるが、長石(orそれ以外の単味で溶ける石)が使われたらしい。長石が多ければ多いほど安定はするが、それに伴いつまらなくなる。本歌の龍泉窯も良いものと下らないものの個体差が激しい。f:id:Kirsch:20180101161127j:plainf:id:Kirsch:20180101161146j:plain

使う原料の種類が多くなると(2→3でも)、少しの割合の変化で釉調ははっきり変わってくる(と思う)。古人も多くのテストを重ねて理想の釉を開発したことだろう。f:id:Kirsch:20180101161154j:plainf:id:Kirsch:20180101161204j:plainf:id:Kirsch:20180101161314j:plain

焼成が難しく、青に少し灰色が混ざることがある…

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斑釉 2

kirsch.hatenablog.com

以下新作です。

 

青斑の出方はより古唐津に近づいてるかなと思います。

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土の焼き締まりは程々(普通に使用して漏れることはないが、貫入にはすぐ色付く)です。岸岳系のものは陶片をみても、吸水性がしっかり分かる物が多い。しかし、温度を上げていけばガリッと焼けるというタイプのものだと思います。

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還元をかけすぎると、釉の地に黄色が混ざる感じがします。だとすれば古作もそれほど還元をかけてないのかなと思いますが、実際の原料で試さないことには本当のことは何も分かりませんね…

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斑釉について

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唐津に範をとり作成しました。

唐津は珪酸分が多い原料を使用した灰釉だと思います。古唐津に限らず古陶磁の原料というのはわかっていない部分が多いので、なかなか断定的な事は言えないのですが、おそらく三原料を合わせた釉薬だろうと思います。珪酸分の多い草灰(イネ科など)、土石、木灰、この三原料です。

草灰や土石などはそれぞれかなり多様な組成を持っているので、少しの原料の違いで大きな違いが出てきます。例えば、右上と左下ではわずかな分量の土石を変えただけです。木灰は草灰や土石ほどの大きな違いはありませんが。

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岸岳系古唐津の斑の不思議なところは、流れていないものが多いということです。少なくとも、見込みに釉薬が溜まる位流れているものは非常に少なく、しっかり焼けているものは、流れるというより釉薬が透明化しているものが多いような感じを受けます。

ただ白濁する組み合わせはいくらでも作ることが出来ますが、高温でも流れにくく、キラっと輝くような独特のテクスチャーをもつ釉薬はたまたま出来るようなものではないでしょう。土石が少なければ、大体は流れやすい釉薬になります。

そもそも、斑はどういう経緯で作成されたか、よく分かっていない部分があります。鈞窯系や会寧系の失透釉の技術が導入されたとか、実は白い焼き物を作ろうとしたとか言われることもあります。どちらにせよ、はっきり流れてしまっては鈞窯写しも白い焼物もままならないことは事実です。

やはり、個人的にはわざわざ流れにくい釉薬を作ろとしたと考えています。

 

参考:元の鈞窯の碗

元 鈞窯 碗-數位典藏與學習聯合目錄(5885390)

金-元 鈞窯 天青碗-數位典藏與學習聯合目錄(836558)

かなり唐津の斑に似ているように見えます。故宮におさまっているものです。

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流れにくい失透釉は副次的な魅力を備えています。流れるほど青い斑は出にくく、またテクスチャーも単純なガラス質になる傾向を感じています。

一番目の写真はかなり流れており、青い禾目は見えますが、ちょっとあやふやです。ただし、テクスチャーは写真だとわかりにくいですが、独特の光沢があります。二番目のも流れきっていますが、樹脂のような魅力的な質感だと思います。三、四番目は少し流れている程度なので、見込みにはっきりとした青斑が見えます。しかし、テクスチャーはガラス感が強く単調さがありますね。五、六番目(同一の盃です)はあまり流れていないので、口縁部や外側の腰にも青斑が残っています。テクスチャーも単純さはありませんがすこし黄みがかっています。古い斑には黄緑色の物もありますが。

ただ、テクスチャーの部分は流れにくさ以外の変数も重要ですね。

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岸岳系の器形は李朝陶磁とはあまり似ていない部分も多いです。筒盃があったり、口の部分が反っていない物が多かったり、高台もはっきりした竹の節は多くないと思います。特に碗なりの口を内側に抱え込んだような丸っこい形は非常に好きです。志野辺りを真似たのでしょうか。何れにせよ、岸岳系の荒い土にふさわしい素直さ、力強さがあると思います。

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堅手について 2

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今回作成した堅手も前回と概ね同じコンセプトです。

kirsch.hatenablog.com

ただし、焼き方や灰の処理、土石の精製法の違いなどで微妙な違いが出てきます。

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f:id:Kirsch:20170515123533j:plain玉子手と称される高麗茶碗には、薄灰色の胎に白色の御本などとても淡い色の窯変をおこしているものがあるようです。

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上記の盃は片身替わりが出ています。写真だと見えにくいですが、酸化と還元できれいに分かれており、左が黄みがかっていて、右が灰色です。焼き締まりもはっきり違うので、古色を付けたところ、黄色の部分だけに色が入ります。

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焼成と土の組み合わせによっては殆ど高麗青磁の様相を呈するものもあります。

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堅手茶碗や白磁を目指したであろう雨漏茶碗にはいくつか、とても表情豊かな高台を持つものがあります。焼き締まりが弱いようですが、根津美術館の雨漏茶碗や同じく根津の「蓑虫」などはとても素晴らしい高台です。

一言で岩石といっても砕いて精製したときの可塑性は様々で、処理の仕方によってはとても扱いやすい、しかも完璧に焼結する原料もあります(天草陶石のような)。しかし、実際は白く焼けても可塑性や焼き締りが不十分なものが自然界には大半だと思います。雨漏茶碗はこのような原料でより魅力的な器を作ろうとした精神が生んだものと思っています。

可塑性のない土でも乾燥具合と道具によってはささくれのない正確な高台を削ることは可能ですし(荒い土だと厳しいですが)、むしろ縮緬皺がきれいに出るタイミングは意外とシビアで狙わないと難しいです。李朝の一部の名工は不完全な材料で単純に白磁をなぞることを良しとせず、汚れやすい土の性質や器形にあった削り方を追求したのではないでしょうか。

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堅手の殆どは雑器ですので、傾いた姿で口縁がガタガタなどかなり無造作な器形のものがありますが、にも関わらずそうした器の釉調がまるで高麗青磁のように美しいテクスチャーをもっていたりします。扱いにくい土で正確な器形を実現するには手間がかかりますが、釉薬の出来不出来に関しては手間暇よりもノウハウの方が重要と感じます。青磁のノウハウを知る陶工にとっては量産の器であれ潤いある肌をまとわせる程度のことはお手の物だったのではないでしょうか。

雑器の中にも歴史や当時の人の美観が詰まっていることをしっかりと感じます。李朝以外でこんな美しいアンバランスさのある器はそうはないでしょう。

以上のような美点が少しでも再現できればと思い作成いたしました。ご覧いただきありがとうございました。

 

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斗々屋について 2

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斗々屋には大別すると2つの形があり、今回はその点を意識して作成しました。つまり、碗なりと朝顔形です。

碗なりのものは本手斗々屋などと呼ばれており、豪快な縮緬皺を呈するのはこのタイプに多いようです。朝顔形のものは平斗々屋と呼ばれ、本手斗々屋と比較してかなり砂混じりの土や、色の濃い鉄分の多い土を使ったものがあるようです。

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典型的平斗々屋よりすこし深いですが、轆轤目がだしやすい程度の深さにしています。

皿に近いような形状だと、ふくらませるというより、土を倒していく感覚になりますので、はっきりした轆轤目がつかないか、つけようとしても少しわざとらしくなってしまうことが多い気がします。

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斗々屋は碗なりでも朝顔形でも抱え込むような口づくりが殆どだと思います。やはり何かを飲むために作られた器ということでしょうか…

特に平形で端反りだと飲みにくいので、茶に使う場合は口づくりに気を使う必要があったと想像されます。

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上の茶碗は「」の形を写したものです。」は本手斗々屋の範疇に入ってるようですが、あまり見慣れない形をしています。倒しきれなかった平茶碗というか、胴を膨らませられなかった碗なりの茶碗というか。つまり、何やら作りかけの趣を感じます。

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また、「」は高台内のみならず高台脇、腰の部分にもはっきりした縮緬皺があります。腰まではっきりした縮緬皺を呈するくらいだと、かなり可塑性のない土であったと想像できます。腰も張ってはいますが大きく削られ(ているように見える)、高台の幅も大きいため轆轤の上ではそれほど腰が目立たない筒のような形だったのではないかと思っています。

筒の状態から倒したり、胴や腰をふくらませるのは可塑性のない土だと非常に大変な作業です。倒そうとすればヘタリ、膨らまそうとすれば割れてくる、そのような土を使っていたと想像しています。つまり、この作りかけの趣は可塑性のない土をなんとかしようとした証ではないかなと考えています。

」とならんで「霞」もそのような雰囲気を感じますが、腰に多少丸い膨らみがあり、より洗練された形をしています。その膨らみが少ない分、「」にはプリミティブな印象を受け、そこに惹かれます。

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上の器は盃です。茶碗だと平たい端反りのものは飲みにくいですが、盃だとそういうことはありません。本歌に盃はないと思いますが、斗々屋を範とした盃としてとりうる表現かと思います。

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御本や片身替わりは斗々屋の一つの魅力ですが、ほんの少し焼成場所の違いや、隣にどんな大きさのものを置くかでかなり変わってくる微妙なものです。

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上2つの写真の茶碗のように1つの茶碗の表裏、左右でそれぞれ色が違うと言うものもまれに出てきます。何れにせよ炎の周り方からくるものなので、おそらく窯の形状もかなり重要でしょう。ただ、焼成方法に関しては色々なものを許容してくれるような気がします。

 

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