陶磁器展示場

陶磁器を作成しています。高橋陽のブログです。

斑 ぐい呑

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カイラギと言うか、釉薬全体に気泡が発生し、凸凹しています。炎の影響を如実に感じられる焼き上がりかと思います。釉薬の構成は他の斑と似たようなものですが、焼成方法を変えています。

窯出し後、一見して失敗だなと思いましたが、よく見ると悪くないような気がしたので、古色を付けてみると藤ノ川内窯の斑に似ているものがあることに気づきました。藤ノ川内の胎土は鉄分の多いものなので、釉薬により色がついていることが多いですが、写真を見る限り似ていると思います(ネットには適当な画像が転がってないので載せられませんが、別冊太陽の古唐津を参照)。古作と似たところがあれば良いかと言うとそうではないですが、伝統的製法のようなのに一見して見慣れないものは何となく怪しさを感じるのは私だけではないと思います。

例えば数学や物理学であれば第一印象はどれだけ奇抜でも、一定のやり方及び基準に従ったものなので丹念に勉強して思考を積み上げれば概ね理解できるようになっているわけです。しかし、現在の芸術には一定のやり方はありません(美しさという基準、作法が強力だった時代があったものの)。知識のある人が一見して意味不明なものは、よーく見て調べてみても結局意味不明だ、ということも普通にあるわけです(=悪い作品)。ですからその作品の良さを理解してもらいたいとするなら、見た時の印象を強くすると同時に作品理解の糸口を用意する必要があります(例えば利休はピカピカの板の間に黒楽茶碗を置いたりはしなかったわけです。)。そういった意味で、この焼き物は~時代の~窯に似ているという糸口があった場合、技法はその窯に準拠した比較的伝統的なものだろうとか、コンセプトとしてはその時代に関係があるだろうとかいう情報を読み取ることができます。ですからそれを読み取れればこの焼き物は例えば歪んでるから駄目だとか、焼けにムラがあるからレベルが低いとかそういったノイズを排除してどこに注意を払って作ったのか判断することが出来るわけです。

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斑というか陶磁器の特異性かも知れませんが… 陶片を作陶の参考にすることは多いですが、斑にはよく惑わされます。焼成条件の違いと土中での風化具合により発掘陶片の段階ではかなりの幅を示すようになります。出光美術館の古唐津展で、おそらく伝世であろう複数の茶碗、鉢、盃を見た時に思いましたが、よく見る陶片よりも照りがありかつ清潔な印象。陶片でよく見るようなサラサラした質感や曇りは流し掛けしてある朝鮮唐津の花生以外ではそれほど見受けられず、意外な感がしました。伝世品、発掘品、実物、画像、見ていくと本当に多様な斑唐津があります。

陶磁器は絵画や彫刻などと違って、何か自然物などをモチーフにしてそれを写し取るということから始まった芸術ではありません。陶磁器そのもの、またはそこに現れる特有の現象を賞玩してきたわけです。(窯業が発展するに従って、青磁のような玉をそのまま写し取ったかのようなものや、なめらかな胎土の上に非常に精巧な絵を書くという白磁色絵などもでてきましたが。)予期してもいなければ、もちろん期待してもいない、たまたま現れる斑の無数の現象に陶磁器の本質的な魅力を見る気がしています。