斗々屋について 2
斗々屋には大別すると2つの形があり、今回はその点を意識して作成しました。つまり、碗なりと朝顔形です。
碗なりのものは本手斗々屋などと呼ばれており、豪快な縮緬皺を呈するのはこのタイプに多いようです。朝顔形のものは平斗々屋と呼ばれ、本手斗々屋と比較してかなり砂混じりの土や、色の濃い鉄分の多い土を使ったものがあるようです。
典型的平斗々屋よりすこし深いですが、轆轤目がだしやすい程度の深さにしています。
皿に近いような形状だと、ふくらませるというより、土を倒していく感覚になりますので、はっきりした轆轤目がつかないか、つけようとしても少しわざとらしくなってしまうことが多い気がします。
斗々屋は碗なりでも朝顔形でも抱え込むような口づくりが殆どだと思います。やはり何かを飲むために作られた器ということでしょうか…
特に平形で端反りだと飲みにくいので、茶に使う場合は口づくりに気を使う必要があったと想像されます。
上の茶碗は「」の形を写したものです。「」は本手斗々屋の範疇に入ってるようですが、あまり見慣れない形をしています。倒しきれなかった平茶碗というか、胴を膨らませられなかった碗なりの茶碗というか。つまり、何やら作りかけの趣を感じます。
また、「」は高台内のみならず高台脇、腰の部分にもはっきりした縮緬皺があります。腰まではっきりした縮緬皺を呈するくらいだと、かなり可塑性のない土であったと想像できます。腰も張ってはいますが大きく削られ(ているように見える)、高台の幅も大きいため轆轤の上ではそれほど腰が目立たない筒のような形だったのではないかと思っています。
筒の状態から倒したり、胴や腰をふくらませるのは可塑性のない土だと非常に大変な作業です。倒そうとすればヘタリ、膨らまそうとすれば割れてくる、そのような土を使っていたと想像しています。つまり、この作りかけの趣は可塑性のない土をなんとかしようとした証ではないかなと考えています。
「」とならんで「霞」もそのような雰囲気を感じますが、腰に多少丸い膨らみがあり、より洗練された形をしています。その膨らみが少ない分、「」にはプリミティブな印象を受け、そこに惹かれます。
上の器は盃です。茶碗だと平たい端反りのものは飲みにくいですが、盃だとそういうことはありません。本歌に盃はないと思いますが、斗々屋を範とした盃としてとりうる表現かと思います。
御本や片身替わりは斗々屋の一つの魅力ですが、ほんの少し焼成場所の違いや、隣にどんな大きさのものを置くかでかなり変わってくる微妙なものです。
上2つの写真の茶碗のように1つの茶碗の表裏、左右でそれぞれ色が違うと言うものもまれに出てきます。何れにせよ炎の周り方からくるものなので、おそらく窯の形状もかなり重要でしょう。ただ、焼成方法に関しては色々なものを許容してくれるような気がします。
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