斑釉について
斑唐津に範をとり作成しました。
斑唐津は珪酸分が多い原料を使用した灰釉だと思います。古唐津に限らず古陶磁の原料というのはわかっていない部分が多いので、なかなか断定的な事は言えないのですが、おそらく三原料を合わせた釉薬だろうと思います。珪酸分の多い草灰(イネ科など)、土石、木灰、この三原料です。
草灰や土石などはそれぞれかなり多様な組成を持っているので、少しの原料の違いで大きな違いが出てきます。例えば、右上と左下ではわずかな分量の土石を変えただけです。木灰は草灰や土石ほどの大きな違いはありませんが。
岸岳系古唐津の斑の不思議なところは、流れていないものが多いということです。少なくとも、見込みに釉薬が溜まる位流れているものは非常に少なく、しっかり焼けているものは、流れるというより釉薬が透明化しているものが多いような感じを受けます。
ただ白濁する組み合わせはいくらでも作ることが出来ますが、高温でも流れにくく、キラっと輝くような独特のテクスチャーをもつ釉薬はたまたま出来るようなものではないでしょう。土石が少なければ、大体は流れやすい釉薬になります。
そもそも、斑はどういう経緯で作成されたか、よく分かっていない部分があります。鈞窯系や会寧系の失透釉の技術が導入されたとか、実は白い焼き物を作ろうとしたとか言われることもあります。どちらにせよ、はっきり流れてしまっては鈞窯写しも白い焼物もままならないことは事実です。
やはり、個人的にはわざわざ流れにくい釉薬を作ろとしたと考えています。
参考:元の鈞窯の碗
金-元 鈞窯 天青碗-數位典藏與學習聯合目錄(836558)
かなり唐津の斑に似ているように見えます。故宮におさまっているものです。
流れにくい失透釉は副次的な魅力を備えています。流れるほど青い斑は出にくく、またテクスチャーも単純なガラス質になる傾向を感じています。
一番目の写真はかなり流れており、青い禾目は見えますが、ちょっとあやふやです。ただし、テクスチャーは写真だとわかりにくいですが、独特の光沢があります。二番目のも流れきっていますが、樹脂のような魅力的な質感だと思います。三、四番目は少し流れている程度なので、見込みにはっきりとした青斑が見えます。しかし、テクスチャーはガラス感が強く単調さがありますね。五、六番目(同一の盃です)はあまり流れていないので、口縁部や外側の腰にも青斑が残っています。テクスチャーも単純さはありませんがすこし黄みがかっています。古い斑には黄緑色の物もありますが。
ただ、テクスチャーの部分は流れにくさ以外の変数も重要ですね。
岸岳系の器形は李朝陶磁とはあまり似ていない部分も多いです。筒盃があったり、口の部分が反っていない物が多かったり、高台もはっきりした竹の節は多くないと思います。特に碗なりの口を内側に抱え込んだような丸っこい形は非常に好きです。志野辺りを真似たのでしょうか。何れにせよ、岸岳系の荒い土にふさわしい素直さ、力強さがあると思います。
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堅手について 2
今回作成した堅手も前回と概ね同じコンセプトです。
ただし、焼き方や灰の処理、土石の精製法の違いなどで微妙な違いが出てきます。
玉子手と称される高麗茶碗には、薄灰色の胎に白色の御本などとても淡い色の窯変をおこしているものがあるようです。
上記の盃は片身替わりが出ています。写真だと見えにくいですが、酸化と還元できれいに分かれており、左が黄みがかっていて、右が灰色です。焼き締まりもはっきり違うので、古色を付けたところ、黄色の部分だけに色が入ります。
焼成と土の組み合わせによっては殆ど高麗青磁の様相を呈するものもあります。
堅手茶碗や白磁を目指したであろう雨漏茶碗にはいくつか、とても表情豊かな高台を持つものがあります。焼き締まりが弱いようですが、根津美術館の雨漏茶碗や同じく根津の「蓑虫」などはとても素晴らしい高台です。
一言で岩石といっても砕いて精製したときの可塑性は様々で、処理の仕方によってはとても扱いやすい、しかも完璧に焼結する原料もあります(天草陶石のような)。しかし、実際は白く焼けても可塑性や焼き締りが不十分なものが自然界には大半だと思います。雨漏茶碗はこのような原料でより魅力的な器を作ろうとした精神が生んだものと思っています。
可塑性のない土でも乾燥具合と道具によってはささくれのない正確な高台を削ることは可能ですし(荒い土だと厳しいですが)、むしろ縮緬皺がきれいに出るタイミングは意外とシビアで狙わないと難しいです。李朝の一部の名工は不完全な材料で単純に白磁をなぞることを良しとせず、汚れやすい土の性質や器形にあった削り方を追求したのではないでしょうか。
堅手の殆どは雑器ですので、傾いた姿で口縁がガタガタなどかなり無造作な器形のものがありますが、にも関わらずそうした器の釉調がまるで高麗青磁のように美しいテクスチャーをもっていたりします。扱いにくい土で正確な器形を実現するには手間がかかりますが、釉薬の出来不出来に関しては手間暇よりもノウハウの方が重要と感じます。青磁のノウハウを知る陶工にとっては量産の器であれ潤いある肌をまとわせる程度のことはお手の物だったのではないでしょうか。
雑器の中にも歴史や当時の人の美観が詰まっていることをしっかりと感じます。李朝以外でこんな美しいアンバランスさのある器はそうはないでしょう。
以上のような美点が少しでも再現できればと思い作成いたしました。ご覧いただきありがとうございました。
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斗々屋について 2
斗々屋には大別すると2つの形があり、今回はその点を意識して作成しました。つまり、碗なりと朝顔形です。
碗なりのものは本手斗々屋などと呼ばれており、豪快な縮緬皺を呈するのはこのタイプに多いようです。朝顔形のものは平斗々屋と呼ばれ、本手斗々屋と比較してかなり砂混じりの土や、色の濃い鉄分の多い土を使ったものがあるようです。
典型的平斗々屋よりすこし深いですが、轆轤目がだしやすい程度の深さにしています。
皿に近いような形状だと、ふくらませるというより、土を倒していく感覚になりますので、はっきりした轆轤目がつかないか、つけようとしても少しわざとらしくなってしまうことが多い気がします。
斗々屋は碗なりでも朝顔形でも抱え込むような口づくりが殆どだと思います。やはり何かを飲むために作られた器ということでしょうか…
特に平形で端反りだと飲みにくいので、茶に使う場合は口づくりに気を使う必要があったと想像されます。
上の茶碗は「」の形を写したものです。「」は本手斗々屋の範疇に入ってるようですが、あまり見慣れない形をしています。倒しきれなかった平茶碗というか、胴を膨らませられなかった碗なりの茶碗というか。つまり、何やら作りかけの趣を感じます。
また、「」は高台内のみならず高台脇、腰の部分にもはっきりした縮緬皺があります。腰まではっきりした縮緬皺を呈するくらいだと、かなり可塑性のない土であったと想像できます。腰も張ってはいますが大きく削られ(ているように見える)、高台の幅も大きいため轆轤の上ではそれほど腰が目立たない筒のような形だったのではないかと思っています。
筒の状態から倒したり、胴や腰をふくらませるのは可塑性のない土だと非常に大変な作業です。倒そうとすればヘタリ、膨らまそうとすれば割れてくる、そのような土を使っていたと想像しています。つまり、この作りかけの趣は可塑性のない土をなんとかしようとした証ではないかなと考えています。
「」とならんで「霞」もそのような雰囲気を感じますが、腰に多少丸い膨らみがあり、より洗練された形をしています。その膨らみが少ない分、「」にはプリミティブな印象を受け、そこに惹かれます。
上の器は盃です。茶碗だと平たい端反りのものは飲みにくいですが、盃だとそういうことはありません。本歌に盃はないと思いますが、斗々屋を範とした盃としてとりうる表現かと思います。
御本や片身替わりは斗々屋の一つの魅力ですが、ほんの少し焼成場所の違いや、隣にどんな大きさのものを置くかでかなり変わってくる微妙なものです。
上2つの写真の茶碗のように1つの茶碗の表裏、左右でそれぞれ色が違うと言うものもまれに出てきます。何れにせよ炎の周り方からくるものなので、おそらく窯の形状もかなり重要でしょう。ただ、焼成方法に関しては色々なものを許容してくれるような気がします。
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熊川について
以下、自作の熊川について説明です。
熊川茶碗は高麗茶碗の一種で、主に形に従って分類されるようです。丸っこい碗なりとはっきりとした端反り、見込みの鏡が特徴です。
釉薬や土は本歌でも非常に多様で、枇杷色のザックリしたそれほど焼き締まってなさそうな土からほとんど白磁のような硬く緻密な土まで使われています。釉薬は透明釉ですが、高麗青磁的な柔らかさを持つものから、近代的な白磁に使われるようなピカッとした清潔感のあるものまで色々です。
よって、井戸のような土と釉薬の熊川形茶碗も出てきます。また、雨漏りや片身替わり、御本、小貫入などが出ているものもあり李朝陶磁的な要素をそのカテゴリーの中にかなり内包していると言えそうです。しかし、殆どの熊川茶碗には土見せがあり、それだけは一般的李朝陶磁に反する部分ですが、これは熊川茶碗の形とあいまって、天目の様式を踏襲している可能性があるのでは、と考えています。
土は漏らない程度のポロポロした質感の土で、使っているうちの変化がはっきり見えると思います。釉薬はピカッとしたものよりも柔らかい質感のものを目指しました。
上の杯は見込みや幾つかのピンホール部分に雨漏りが見て取れます。雨漏りが形成されるには、吸水性が高い土というだけでは不十分らしく、着色しやすい性質も合わせて求められるようです。
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斗々屋について
斗々屋は李朝の時代に作られたものですが、青磁から白磁への移行の過程でいわば徒花的に作られた堅手や井戸などとは全く違う特徴があります。
斗々屋の特徴としては、御本が出ている、白色でない、土がサクサクしていて縮緬皺が出ている、などが挙げられますがすべてを兼ね備えていないものも斗々屋と呼ばれています。最低限、薄い釉薬がかけられた有色の李朝茶碗であれば斗々屋と分類されるうるようです。
釉が非常に薄く、青磁や白磁のような均一な色や質感は端から目指していないように感じられます。また、土との反応が顕著で、金属量の僅かな差、焼成条件の違いで多様な色彩を示します。ただし、本歌の中には磁器のごとく固く焼き締まっているものが少なくないようで、器形も平茶碗や口辺が外反した碗なりの重ね積みのしやすそうなものが多く、白磁のように実用的な陶器とも言えそうです。しかしながら、その侘びた風情から一部は日本からの注文で作られたとの説もあるようです。
今回作成の斗々屋では色は枇杷色から朽葉色、その中で御本や片身替わりなど、土と釉薬の反応の面白さを感じさせるような焼成条件を狙いました。器形は特に何かをモデルにせず重ね積みしやすく、茶が飲みづらくないことを基準に作っています。縮緬皺の様相は削りのタイミングや道具で変わってくるので、出ていないものもあります。
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堅手について
堅手は李朝において白磁を目指して作られたが、そうなり切れなかった物の総称という感じでしょうか…。結果的に様々な形態を取るようです。
青磁と白磁の合いの子、焼き締まっているが白くないもの、白さは十分だが焼き締まっていないものなど…。その中で特に見どころのあるものは金海や玉子手など、カテゴライズされますが、そうでないものを一緒くたに堅手と称されているようです。井戸手なども堅手の一種と見るむきもあるみたいです。
こちらは素地は焼き締まっていますが黄胎青釉。玉子手といえばそうでしょうか?釉薬にも土にも微妙に色づきが見られるもの。
こちらは青みが少なくなった青磁。土は灰色、焼き締まっています。
堅手は粗雑な白磁、または高麗青磁から李朝白磁へと至る試行錯誤の過程であるとも捉えることができると思います。そして一部、高麗青磁の技術を元にしたような、とても柔らかみのある質感のものが見受けられます。一方、元以降の中国の白磁は釉薬がどちらかと言えば硬質な印象で、青磁から試行錯誤を経て白磁へと至った李朝の白磁とは一線を画すように感じられます。
上の写真の堅手は焼き締まりや色など様々ですが、独特の釉薬の質感、つまり水を含んだような潤いが感じられたり、蝋でコーティングしたような柔らかい感じを目指して作成しました。